昭和52年02月06日 川上家霊祭
皆さんの思いを御霊様へお伝えさして頂く、まあ言うならば儀式をただ今、終わらしていただいたわけです。御神前で私ご祈念中に頂きました事が、親に光を子に喜びをという事、私はこれは大体反対ですね、大体いうたら。 親にいや御霊様に喜びをそしてそういうひとつの功徳と言った様なものが、この光になるんだというなら今日のね、反対です親に光を子に喜びをと、ここにご神慮というものを私感じるんですけれどもね。
なら親にまあここでいわれる、合楽理念に基づきますと、霊界あの世と言うところは、暗黒だといわれる、これはもう新しい宗教の一番せんたんをいく表現だと思うんですねこれ。確かに霊界みたまの世界というものは暗黒、だからこの世で本気で魂を清めておく、魂にひとつの光を与えておかないと、あちらじゃどうにもできない身動きも出来ない。ただ光を持っていったみたまだけが、いうなら光明世界に住む事が出来るというわけなんですけれども。
今日の御霊様の場合なんかは、やはり川上家族の方たちの日頃の信心の、まあ情熱とでもいうか、光を受けておられる、その光をあちらに送ってあげられたという感じですね。親に光をそしてならこの子に喜びを、これは例えばなら御霊がどんなに光を受けて喜んで、その喜びがこちらへ、例えば伝わってくるようにあっても、こちらにその受信機と言った様な受けものがなかったら、やっぱ喜びにもならんただまあそれこそ、まあ今日はひとつの仏教的にいうなら年忌を終えた。
まあこれで御霊さんも仏さんも喜んでおられるじゃろうという、じゃろうぐらいのことだけれども、これもやはりこちらに受ける、やはり器というか、キャッチできなければ喜びと言う事になってこないと言う事なんですけれども。四、五日前から吉井の熊谷さんという熱心な総代さん、婦人総代さんがおられますが、その方のお導きで、大変悩みを訴えられた方に対して、おかげの泉を五、六冊貸してこれをしっかりくりかえし読んでごらんなさいと、ああたの助かりの道が開けますよと。
そして読まして頂くそのおかげの泉の中に、いわゆる合楽の信心の根本は親孝行にあるんだと言う事を繰り返し頂いて、その今まで自分が、まあその親にほんとの喜びを与えきっていなかったことに気付かせて頂いて、翻然と詫びる気持ちになられた。もう実を言うたら、そのお母さんに、まあ姑親のお母さんにもういじめ抜かれておった、そのおばあさんが体が悪くて入院されておるけれども見舞いに行こうとも思わなかった、その嫁さんがおかげの泉を読んで、それこそ初めて親の為にぼた餅を作った。
そしてぼた餅を持って病院に行ったら、もうそれこそおばあさんが涙を流して喜んだげな。そしたらね、そのおばあさんが涙を流して喜こぶと見てから、嫁さんも涙が出るほど嬉しかったと。ほんとにおかげの泉を読んでもこれくらいの、ほんとに世の中には不平不足は習わんでも皆が不平不足の道は知っとるけれども、喜びの道というのは、これは習わにゃわからん、おかげの泉を読んででもこんなおかげを頂いたのだからね。
ほんとに合楽のお広前にお引き寄せ頂いて、親先生じかにお話を頂いたらどんなに有り難い事だろうかと、言うて帰った。そしてそういう話を頂いた翌日、本人がやっぱお礼に出てまいりました、そして帰って熊谷さんに話されるのが、もうほんとに毎日毎日ああゆうお話をああた方が頂いておられるから、なるほど一家中があんな幸せでおありになる事がもう本当に分ったと、これからもといてとっても。
まあ親孝行を根本にした、信心をさせて貰わなければと言うて、まあ熊谷さんとこに御礼に見えたというのですけれども、私は今日の御霊さまのお祭りを奉仕させて頂いて、ややそれに似たものを感じましたですね。あのお花のお供えがあっとります、あの真っ赤なカーネーションが、あれはひとつの熱情といわれますから、川上さんとこの親子四人の熱情を表したもんだろうと思います、菊の花が活けてあります、あれはちょうど種子島あたりからまでもね、遠路この御祭りに会われておられます。
そういうご親戚の方達の、菊と言う事は、やはり喜び久しいと、なら文字るとそうなりますが、合楽の信心のまあシンボルといわれるくらいに菊の花というものは真心だ、大事なものだと、真心がなからなければ海を渡ってわざわざここまでも、やって来れませんよね。それからあの後ろにゆりの花が入れてある、私があれを心の目で頂きますと、あのゆりの花がこの卍巴に花のつぼみが、こう卍巴に咲いているところを頂くのです、今日の御祭りの雰囲気だと思います。
ほんとに親に光を子に喜びをと、そういうこれはとても、だからあのもしあなた方が心の御信心を頂いとかなかったなら、こういう御祭りになってこなかっただろうし、又はそれをなら、ああた方が日頃頂いておる御信心の光をあの世に送ってやる手立てもなかっただろうとこう思うですね。もうほんとに親に光を、そして子に喜びをと頂いた、そういうまあほんとに深い意義を持った霊祭だったと思いますね。
まあ不行き届きなことで、時間も大変遅れましたけれども、あの遅れたことが大変おかげであったことを、これは後で段々分かってくるでしょうけれどもね。それが私お風呂入りさして、大体私霊祭の日には必ずお風呂を頂くのです、そしたら神様からもう今日はもう時間がガチガチしとるからね、あのもうひげももう伸び放題で、朝からもうとにかくご承知のように、もうてんやわんやでした。
あの寒行の明けでございましたから、そして日曜であるし、五十名あまりの青年会が夕べから、ここで一夜信心実習会をやっております、だからそんな事でもうここはもうお広前中がてんやわんやで、丁度この時間にならんと、こんな静かにならないんです。同時にひげを剃る事を頂いて、その遅なっとるのに、私はひげまであたらして頂いた、けどこれは御霊に対するひとつのまあ、エチケットだと思うんですよね。
そういうひとつの思いを込めての御祭りがね、この様な形で頂き表らされて、親戚の方達もこうしてこれに参拝をされたと言う事、ほんとに今日の御霊さまが、あらためて光をいただかれて、その光の喜びと同時に、皆さんの真心をお受けになったと思います、そういう感じのまあいうなら、今日の御祭りはね、あの花に全部が表されておるという感じでした。あのあれは榎橘でしょうかね。まだ咲いてない、ちょっことばかり紫がでとるでしょうが、あれが今日の御霊さまのね。
安心がねちょっとね芽が出たわけです、これからまた真心からの奉仕をさしてもらうと、あれがこう開くことでしょう。紫の色はここでは安心と頂きますからね、いうならば安心の喜びの御霊としてのこれから、また精進をされて行く事でしょう、いよいよ安心の御霊、喜びの御霊として、ひとつ御霊さまもお育てを頂かねばならんし、私共もまたいよいよ喜びを受け止めれる心の状態を、頂かねばなりませんね。
どうぞ。